2003/11/30  城山(369m)

No2


上畑との分岐から約20分で山頂です。
山頂は、結構広くて東側以外の展望が望めます。また山頂には、記念碑や灯篭があり、掃除も行き届いてるし、小屋には登山記録や登山者数のグラフや登山者の撮影した写真など「城山を守る会」の人たちの熱心な活動が伝わります。
私も記録を残しました。
記念碑 山小屋
山頂で展望を楽しみ一服したら、「一般登山道」を下ります。小屋のすぐ脇から階段が続きます。山頂からすぐに三郎丸登山口と福教大方面との分岐があります。さらに下ると水場があり山頂から約40分で自然歩道との分岐に到着です。
ここから10分程度で駐車場到着です。
登山日誌や写真がある 年間登頂数のグラフ
今日は、午後からの登頂で食事をしませんでしたので「本日のメニュー」はお休みです。でもスペースがあるので山頂にあった城山の説明を記載します。
「赤馬山古城跡」
城山は、その昔、赤馬山、羅が嶽、嶽山などと呼ばれてきました。ここに城跡がありました。宗像大宮司六十五代俊がこの山に城を構えました。のち永禄三年(1560永禄五年の説あり)八十代(七十九代の説あり)氏貞が孔大寺の白山城より、ここに移り、この城を拠点として、戦国の世を戦い抜きます。天正十三年(1585)四十二歳で氏貞死去(異説あり)しました。男子なく宗像家は絶えます。
天正十五年、豊臣秀吉が九州入りし、島津を降伏させ九州を平定しますが、その際、筑前国(今の福岡県)を小早川隆景に与えます。宗像大宮司領は、すべて没収され、翌天正十六年、秀吉の命により、この城は壊されます。城山周辺の小字に一ノ溝口、二ノ溝口とありますが、往時を語るものです。なお、この山にはたくさん猿が棲んでおり、ムクロジ、南天、楠、エビネなど多かったと記録もあります。昭和六十三年三月 宗像市商工会
ここから福智山が見えることも
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